医療保険を解約した時に、新たに分かったシンプルな生き方
先日、足掛け3年続けた医療保険(掛け捨て)を解約しました。解約にあたって実はかなり迷ったのですが、調べているうちに、新たに見えてきたことがあります。僕らは我知らずとも多くの荷物を背負って生きているのではないかということです。もっとシンプルに生きる方法があるのでは、僕なりに気付いたことを書いてみます。
きっかけは、子供向けの個人賠償責任保険の案内が我が家に届いたことでした。これは例えば子供がおもちゃのバットを振り回していて誤ってお友達をケガさせた場合などを想定したものです。我が家は男の子が二人います。上の子が来年小学校です。下はもうすぐ2歳で暴れ盛りです。家内は万一のために入ったほうが良いのではと真顔で言います。
僕自身はと言うと昭和42年生まれの人間です。当時このような補償をカバーするような保険は無かったと記憶しています。「つくづく便利な世の中になったもんだ」と思う反面、ネガティブな事象について「補償いかがですか?」と問われたら、「よっしゃ!」と条件反射で応えそうな自分に対し「いったいどの範囲まで保険を考えれば」、「きりがないのでは?」と自問したことがトリガーになりました。
で、ネットで調べて見えてきたのは、保険=逆宝くじという見方です。これについては、保険販売業に携わる方、ニュートラルなアドバイザー的な立場の方、契約者の方といろいろな立場から語られています。「保険 宝くじ」で検索すると、賢者による沢山の論説がヒットします。Googleのヒット順から紹介しますと、
日経新聞のアーカイブでは、
保険は“99%が外れる宝くじ”
またファイナンシャルプランナーの方が書かれた生命保険と宝くじの共通点という記事では、
実は、宝くじには生命保険と共通点があります。何だと思いますか?どちらも、「めったに起こらないこと」を過大評価しているのです。
と解説されています。保険は自分が不幸になる確率に掛ける宝くじということで、胴元が稼げるという意味で根本的なビジネス構造が同じであるということです。これはとても腑に落ちます。ですが僕自身はというとギャンブルはもちろん宝くじに夢を託すという習慣はありません。なのでまだモヤモヤしています。そこで基本に戻って「保険とはそもそも何ぞや」をGoogle先生に聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
保険とは、将来起こるかもしれない危険に対し、予測される事故発生の確率に見合った一定の保険料を加入者が公平に分担し、万一の事故に対して備える相互扶助の精神から生まれた助け合いの制度で、私たちを取りまくさまざまな事故や災害から生命や財産を守る為のもっとも合理的な防衛策のひとつです。 引用元 日本損害保険代理協会より
保険は、多数の者が保険料を出し合い、保険事故が発生したときには、生じた損害を埋め合わせるため、保険金を給付する制度である。保険の対象とされる保険事故には、交通事故・海難事故・火災・地震・死亡など様々な事象があり、人間生活の安定を崩す事件・事故・災害などの危険に対処する。 引用元 wikipediaより
これによると保険には共済的な意味合いがあります。相互扶助と捉えるともっともな話しです。ですが前述の胴元ビジネスの視点からはしっくりいきません。ということから再び悶々とするのですが、下記の記事を見て気付くことがありました。
ソフトバンクの株主構成は、孫 正義CEO 21%。本日付のソフトバンク(株)(9984)の時価総額は、6,843,764百万円。21.09%では約1兆4400億円。
※「孫正義 資産」でヒットした記事です。具体的な引用元は伏せますが、各処で類似のデータがヒットします。
何かと言うと一定値以上の個人資産がある人には、保険は無用ということです。気付きに至るもうひとつのきっかけは知人を交えての何気ない雑談でした。それは「孫さんほど資産のある人は、保険に入らなくても何も心配することはないよね」という会話だったと思います。
これを起点に、僕の中のモヤモヤが一気に整理されます。つまり保険とは、
「自分自身でリカバリできないことを補填するための手段」
と再定義できたわけです。
そこで冒頭の医療保険に話しが戻りますが、加入時の動機を振り返ると、もし自分らが病気で動けなくなったときに、保障がないと困るだろうなぁと発想したわけですが、改めて契約書を読むと日額ベースで最大8,000円保障で1入院60日の制限が付きます。
制限といっても60日入院って「どんだけ~」と思ったりもして、実際にはせいぜい1ヶ月弱くらいの入院を想定したりとか、逆に最悪ケースばかりをイメージしなくても良いということも考えたりしました。何も自分たちの運が悪くなる方向に、掛け金をはる必要もないからです。
という発想をもとに、世の中の見識はどうなんだろうと、インターネットで検索してみますと、興味深い発言が引っかかってきました。それは、
「可処分可能な備えがあれば、入院費を保険に頼る必要はないでしょう」
という意見です。我が家を振り返って、さほど潤沢な蓄えがあるわけでないですが、医療保険でカバーできるくらいのことは支障はありませんでした。思うに保険とは、
「いざというときの備え」、「万に一つのことが起こった時の安心」
というわけですが、僕自身「いざというとき」を問われるとなかなか心情的に抗えません。基本的に脅迫に弱い人間ですので、世の中に新たな補償が登場するたびに「これも必要かなあ」と右に左に流されるばかりでした。そんな僕にとって「自分自身でリカバリできないことを補填するための手段」という判断基準を持てたことには大きな意味がありました。
この基準を持てたことで人生がシンプルになった気がします。気持ちを惑わされない自分だけの判断軸が持てたからです。必要なことと、そうでないこと、これを見極める審美眼と言っても良いでしょう。自ら気付かないうちに余計な荷物をたくさん背負っているような人生から、とてもシンプルな生き方にシフトできたと感じます。
追伸)
最後にもうひとつの効用について書きます。
このような人生観はビジネスにも応用が効くかと思います。例えば僕らのようなITの業態でいえば、システムの安定稼働の指標について同じことが言えます。自分たちでリカバリできること以上の補填を求めるとオーバースペックで、その逆はリスクといったように。
谷尾 薫 オーシャン・アンド・パートナーズ株式会社
ITプロジェクト支援、企業のシステム内製を支援する戦略チーム
この記事を書いた人について
-
オーシャン・アンド・パートナーズ株式会社 代表取締役
協同組合シー・ソフトウェア(全省庁統一資格Aランク)代表理事
富士通、日本オラクル、フューチャーアーキテクト、独立系ベンチャーを経てオーシャン・アンド・パートナーズ株式会社を設立。2010年中小企業基盤整備機構「創業・ベンチャーフォーラム」にてチャレンジ事例100に選出。
最新記事一覧
- 経営者向け2024.11.18基幹システム再構築とは何か?:価値を生み出す仕組みの再設計
- システム開発2024.11.13見積依存のリスク:発注者が知っておくべき価格依存の弊害
- RFP2024.11.12システム再構築における発注力の重要性とその鍛え方
- RFP2024.11.11IT導入の成功に不可欠なシステム部門の役割拡大と組織づくり