「仕事をした感」というのが思わぬ伏兵という話し

2020/03/13

職業柄、外出が多くて一日中外を飛び回っていると心地良い疲労感を感じます。

特に私のようなおっさん世代は、新幹線や飛行機に乗るとお約束のようにソーシャルに上げたがる生き物です。
その様子を上げると、同じおっさん世代から「イイね!」が付いて、頑張っている自分を肯定されて、さらなる充実感に溺れます。

しかしこれは実に曲者。
今回は「今日は良く働いたなぁ」みたいな自己肯定感の弊害について考察してみます。

「あぁ今日も忙しかったなぁ」という生産性意識の欠如

出張だけでなく、たとえばお客様先への打ち合わせや会合に出るための移動。
それ自体が価値を生んでいなくても、仕事をしている気になります。
また毎朝混み合っている電車に乗ってオフィスで一息つくことで仕事のスイッチが入る人もいます。

つまり人は、移動を伴う行為自体を、仕事の一部と認識する傾向があるのです。
ある意味、心理学的に仕方が無いことかも知れません。
しかし、この「仕事をした感」は危険です。

とりあえず出勤して、打ち合わせや会合をこなして夕方までそれらしく過ごしていれば、「あぁ今日も忙しかったなぁ」と感じてしまう。
このような生産性意識の欠如を蔓延させます。

実は私自身、結構な頻度でこのような罠にはまります。
会社の代表という立場から打ち合わせや会合の誘いが多く、また時間の線引きすら曖昧なこともあります。
もはや暇だから会合に顔を出せるのか、顔を出すからスケジュールがみるみるうちに埋まっていくのか、どちらが先かすら分かりません。

そんな自分に釘を刺すために、止めたことと、新たに始めたこととがあります。

そのひとつとして、自分の行く先や移動中のこと、どんな会合に出席しているか、というアピールは止めました。
具体的に言うと、自己肯定という動機で、ソーシャルやブログには書かないということです。
(「自己肯定という動機で」という但し書きを入れた理由は、ビジネス上の広報につながることは例外だからです。
とは言ってもおっさんが上げるソーシャルに、ビジネス上の広報につながるものは稀ですが…)

この習慣により、余計なことに時間を使わなくなり、心の中の雑音をかき消すことができて、
「いったい今日は何を果たすことができたか?」を自分に問いやすくなりました。
つまり内省しやすい環境を作るために、その妨げになる行動はしない、ということです。

一方「例えひとますでも構わないので駒を動かす」ことを自分に課すことを、数年前から始めました。
たとえば、何かを意思決定した、とか、小さな約束をした、とか、約束を実行した、という感じのこと。
上記の主語にあたるのは自分、スタッフ、お客様、お会いした相手のどちらかか、あるいは複数です。

ポイントはひとますの設定はシビアに考えることです。
とりあえず顔を出すとか、挨拶することでミッション達成ということでなく、自分をごまかさないための設定です。

行動の前に、必ずシナリオを頭の中に作って、終わったときに「それができたか」を振り返る。
これを習慣化することで、少なくとも「仕事をした感」で一日の終わりがかき消されてしまうことは無くなった気がします。

この記事を書いた人について

谷尾 薫
谷尾 薫
オーシャン・アンド・パートナーズ株式会社 代表取締役
協同組合シー・ソフトウェア(全省庁統一資格Aランク)代表理事

富士通、日本オラクル、フューチャーアーキテクト、独立系ベンチャーを経てオーシャン・アンド・パートナーズ株式会社を設立。2010年中小企業基盤整備機構「創業・ベンチャーフォーラム」にてチャレンジ事例100に選出。